vol.105 死を通してこの世界を理解する
アートとは?皆さんの回答⑤
海空さんの回答
・アートに関する御祭舟の言葉
・死を知る境涯と戦士の生き方〜本当のアートができる人〜
・アーティストのすごさ
・アートは作品がなければ成り立たない
・宗教者の生き方
はい、こんばんは。4月27日海空さん。
『アートについて、私も考えてみました。
御祭舟第1巻より134ページ
それは、2つを同じ次元で捏ねくり回しているだけ、
変わったものはできても、新しいものは何も出てこないわ』
ムスが言ってますね、これはね。
『135ページ 芸術というのは、上から来る思い出。 思い出ってことは、もう知っていた
137ページ 本当の自分と向き合っている そういう人こそ、真のアーティストね
158ページ セノーラは、命であり、生命であり、アーティスト』
アーティストって書いてあったっけ。
アートじゃないのかな。(※アートと書かれています)
『そこに繰り返しはないのだから、あれは死なのよ』
うん、いいこと言ってんね。
『162ページ本当の芸術を知りたいなら、本当の孤独を知らないと。
本当の孤独には、本当の孤独は相手がいない孤独。
何にも何者にも依存しない存在の孤独は、孤独ではなく1人なのよ』
とムスが言ってますね。
うん、いい言葉ですねえ。
『169ページ セノーラは死を反映しているけど』
けど、何。
『189ページ 創造にある。
だからこそ、アーティストや科学者は人生をかけて研鑽するのであると
数学者や科学者の探求もまた創造の一種である』
『以上のことから、アートは全き独りの境涯を探求する数学者や科学者、そして独りを知り、 全ては死だと知っている境界からくるインスピレーションによる作品(創造)がアートなのかと思いました』
『度々すいません。言い忘れてました。
非日常はすべての作品は死だと知っている境涯からくるのが非日常のアートかなと思いましたと。』
死の覚悟とか、死を知っているとか、あるいは1人であるということの境涯ですね。
これはね、あれですよ、ドン・ファン流に言うと戦士の生き方なんですね。
戦士って言うと、なんか戦争に行く人とか戦いする、戦うんだけども、戦いをする人のような印象を受けますけども、そうじゃなくて。なんだろう、世界の謎と対峙する時、対峙って向き合う時にですね、の境界としてどういう境涯でいなきゃいけないかっつうと、戦士として向き合わないとすぐに潰されちゃうよね。
それが死をインスピレーションとする、あるいは全き1人として、要するに何にも頼らずに1人であるということに耐えられる人だね。それが普通で、耐えるっていうよりも、普通の人だよね。
で、そういう人こそ本当のアートができるということなんだよね。
そういう人はね、上からの応援がすごいですよ。
人間の応援っていうのはないんだけど。ある場合もあるよね、ある場合もあるけど、わけわからん人だから、そういう人は。
その人は、応援してほしいとは思わないよね、周りの人間から。応援してもらえば、ありがとうってぐらい言う、言うけども、
恥知らずでもないし、礼儀知らずでもないから、それお礼はちゃんと言います。言うけども、それを期待したり、 それにおもねったりはしないね。
ただ、上の方たちは、そういう人好きだから、いっくらでも応援してくれるよね。応援の仕方厳しいよね。その上の方によって。
あの低いとこの人は色々手を取り足を取り、飴玉くれたりお金くれたりするけども、上の人は、もっと上の方にいる人は「金なんかなんだよ」とかいう感じだよね。僕はお金には恵まれてるから、 その辺は多分あれなんだ、なんなんだろうね。お金だけには僕は苦労したことは。
あるか。
東京に出てきた時はめちゃめちゃ苦労したよね。だからそれを通過しているからいいなったんじゃないかな。わかんないけど。
もう、なんかやっぱあるみたいよ。こう、段階がちゃんと。
だから非日常はすべての作品創造は死だと。
ただ作品が死だということではないんだけど、死と通じるっていうのはあるよね。
うん。
死のありようっていうか、死の定義っていうか。死は難しいよね。何回か前にあのポエム、詩をあれ誰だっけ
かわかつ「あゆくさん」
あゆくさんが誰だっけ
かわかつ「石垣りん。」
(※石垣りん:1920〜2004。日本の詩人。東京府生まれ。銀行員として働きながら詩を次々と発表。祖父の郷里伊豆の村民たちが辞世の句を日常的に作る習わしに魅せられ、そこに詩作の根元を求めた。代表作「表札」)
石垣りんさんか。
あの人の詩を知ってるよね。あの詩人も。その詩を通して、この世界の構造っていうかのを理解して、 それに対するやっぱ慈悲、慈しみ、てか悲しみ、あるいは感動だよね。
やっぱ詩人ってのはすごいよね。
感動をもたらす。
あ、そこもあるね。
空海とか仏陀は慈悲だけじゃないですか。慈悲だけだったら失礼だけど。慈悲もすごいんだけど。 詩人は、詩人やアーティストは、僕らに感動をもたらしてくれるので、そこはすごいね、アーティストってのは。
なるほどね。そういうことか。海空さん。あ、空海を逆さまにした感じか。
だから今、海空って名前から空海を連想して。
あれ、虚空蔵菩薩求聞持法(こくぞうぐもんじほう)ってあるじゃないですか。 あれもちょっとピッと来たんだけど。
修法ってあるじゃないですか。密教の修法でもなんでもいいんだけど、密教系なら。要するにキリスト教でも、アラブの、なんだっけ、あの宗教。モハメットが始めた。回教じゃなくて、なんかあるじゃないですか。中東の辺りの宗教に。 今1番
スタッフ「イスラム」
イスラム教?インドじゃないあれは、ヒンズー教か。イスラム教にしたって、ヒンズー教にしたって何にしてもいいんだけど、そういう教えの、宗教の、秘教だよね、秘教。密教だよね。
密教の修法ってのは、多分無限を超えることができるんだよね。
これ言っちゃうとまずいな。
修法があって、それ無限を超えることができるんだけど、でも誰がやってもできるかって、そうじゃないんですよ。
3つある、できる要素が。
その修法を成就する要素が2つあって、1つは上の許可が下りるかどうかだよね。
もう1つは、もうめっちゃめちゃできるかどうかだよね。
もうがんじがらめっつうか、もう何がなんでも成就するっていう意思があるかどうか。もう死んでもいいという感じでできるかどうか。
それが2つ。
で、もう1つはあるんだけど、それは言っちゃダメって言われてますね。
それが。だから、あれだよね、その修法ってのもアートじゃないかと今思ったんですよ。海空さんのハンドルネームを見て。 上から来る思い、上と通ずる思い。でも、アートってのは作品がなきゃダメだよね。結局。
修法を通じて、上と同通していろんな能力なり情報をもらうわけだけども、そっから、じゃあ どういう作品ができるか っていうとこだよね。でも、宗教者は作品を作ろうと思わないよね。
人を救おうと。空海さんなんかそうだし。
それが作品ちゃ作品かもしれんけど、作品とは言わんね。感動を与えたから、生き様っていうか、そうだね。その空海さんの生き方が、あれはイエスの生き方が、あるいは仏陀の生き方が。感動を与えた。
あるいは教えを授けたか。
作品ってやっぱ言わんね。やっぱ、アーティストとはちょっと違うね。
アーティストはもうダイレクトにその作品を通じて感動を及ぼすよう。とくに詩ってのは。ボエムってのは、 それは強いよね。うーん。古川くんもいい漫画を書いてほしいですね。
だからね御祭舟は難しいのよ。本当に長いから全部読まないとわかんないと思う。
原作・目風だからね。なんとなくわかるんだけど。大変ですよ。
気長に付き合ってください。この地上、地球が続いて、皆さんの命が繋がったら完成すると思いますから。古川くんの命が繋がらないとまず基本的にダメだけども、多分すごい作品ができると思います。
はい。アートに関してはこの海空さんでおしまいです。お疲れ様でした。